タイ伝統医学、タイ式マッサージ教育施設の歴史

プッサパー・タイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所 Logo

<2008年4月>プッサパータイ式マッサージ専門学校 調査公開
<2016年2月>プッサパータイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所 改訂公開
プッサパーの生い立ちを、近代史の流れと共にご紹介します

スコータイ、アユタヤー王朝時代(1238~1782)

1238年タイ国がカンボジア属領から独立して建国したスコータイの時代から、タイ国全土には歴代の王に官吏として仕えるタイ方医師(Moh Luang) とそれ以外の一般民衆のための医者(MohChaubaan)がいて、サムンプライ(タイ方薬)やタイ式マッサージを用いて診療を行っていた タイ伝統医学または タイ方医学はタイ国の文化の1つであり、特定の組織(寺院)や個人が始めたものではない
これらの時代より現代に至るまで受継がれてきたタイ方医学では、かつては師弟関係を以って卒業するまで、師の下で生活しながら学ぶ形を基本として 受け継がれてきた
従ってアユタヤ時代までは、タイ方医学を教える一般人のための教育施設は史実として見当たらない

現王朝のラタナコーシン時代1(1782~1930)

  • ラマ1世王(在位:1782-1809)
    ラマ1世王
    屋敷(旧王宮)の隣にあったワットポー(Wat photaram)を修理し完成後ワットプラチェトゥポン(Wat Prachetupon)と改名した  その際本堂周辺の休憩亭の壁に仏教、サムンプライ(タイ方薬)やタイ式マッサージの教典を彫らせた しかしこの時のものは後のラマ3世王のものと 比べて規模が小さく、仏教に関する事柄以外現存していない
  • ラマ3世王(在位:1824-1851)ラマ3世王
    信心深い国王としても知られ、50以上の寺院を建立・修繕した その中の2つ、ワットプラチェトゥポン(Wat Prachetupon)、及びワットラーチャオロサーラーム(Wat Rajorosaram)の壁などにサムンプライ(タイ方薬)やタイ式マッサージの教典を彫らせた
    ワットプラチェトゥポン(ワットポー)には祖父であるラマ1世より大規模に、王宮の書庫に保存されてきた膨大なタイ方医学に関する教典を基にその一部を 公開する形で、本堂や本堂周辺の休憩亭の大理石にサムンプライ(タイ方薬)に関して、病気の原因・治療法やタイ式マッサージの教典を彫らせた  また入手が困難なサムンプライを境内に多量に植樹した これらはそれまでは一部の王族など上流階級の人々だけのものだったが、その後は寺を訪れる 一般人の医療啓蒙に役立った しかしながらタイ方医学の一般人のための教育施設はまだなく、以下のラマ5世王の時代に始まった

    ワット・ラーチャオロサーラーム寺院ワットラーチャオロサーラーム大理石(タイマッサージのツボ図)ワットラーチャオロサーラーム大理石(薬草処方箋)
    <写真左からワットラーチャオロサーラーム、Rama3世によって一般人の医療啓蒙のために同寺の回廊に掲げられた、タイ式マッサージのツボやサムンプライ =タイ方薬の処方箋を彫った大理石>
  • ラマ5世王 (在位:1868-1910)
    ラマ5世王
    1870(2413)統治開始2年後、タイ方医学を早急に復興再建するためにプロジェクトを作らせ、従来の資料を収集し編纂させ 後世に残るタイ方医学の教典を改定させた それが王室医科学教典:(Tamra Wechasaat Chabab Luang)30巻である  しかしこれは王宮の書庫に保存され王宮内のタイ方医師や上級官吏以外は閲覧できなかった。

    プッサパー・タイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所所有 タイ方医学教典-1プッサパー・タイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所所有 タイ方医学教典-2
    現在、国立図書館ではこの王室医科学教典:(Tamra Wechasaat Chabub Luang)30巻を保管しており、タイ方医学を教える 公立・私立の文部省認定校が所定の手続きで請求すれば、その学校にコピーが、(Tamra Wechasaat Chabub Luang Rachakaan Tie 5)2巻として配給される  プッサパーでも請求を起こし、2001年10月受領した (写真上)

    1888(2431)ラマ5世はシリラート病院を設立し、1889(2432)病院内に公立医学学校が設立され、タイ方医学と現代医学が3年課程 で教授された (両医学は相反することが多く、また教師・生徒双方にタイ方医学軽視の傾向があり、実施面で問題があった)

    1895(2438) シリラート病院医学学校の教授たちによって、上記のタイ方医学大典(Tamra Wechasaat Chabab Luang)をもとに、 医科学教科書(Phaetsart Sonkhrau)が出版され、初めて一般の人々にも公開されタイ方医学の原典となった  これも参考にして後述の1930年以降に設立された協会や学校は教科書を作成していった事実からいっても、この教本はタイ式マッサージをはじめとする タイ方医学教育の源流の一つと言える

    タムラペーサートソンクロ タイ方医学教典1タムラペーサートソンクロ タイ方医学教典2タムラウェーチャスクサー タイ方医学教典
    1895(2438) シリラート病院医学学校のタイ方医学教授会はシリラート病院での教授を中止することとしたため、以後何処においても タイ方医学の教授は行われなくなった
  • ラマ6世王(在位:1910-1925)
    ラマ6世王
    1923(2466) 医学法を公告し、タイ方医学を中止させる勅令を出した
    地域の伝統医学の医師たちは逮捕されることを恐れ、多くがその職を辞していった
  • ラマ7世王(在位:1925-1934)
    ラマ7世王
    1929(2472) 医療分野を現代医学とタイ方医学と二分割した
    しかし現代医学にはその学校が公立・私立共に多くあったが、タイ方医学は数少なく、ほとんどが私立のものだった

現王朝のラタナコーシン時代2(1930~1982 )民間のタイ方医学教育施設創設

現在タイ方医学には下記の通り各課程を設けている
1.医療課程 タイ方医学による診断、薬での治療 (国家試験に合格すればタイ方医師)
2.薬学課程 薬(サムンプライ)の処方 (国家試験に合格すれば薬剤師)
3.助産課程 分娩 (国家試験に合格すれば助産師)
4.タイ式マッサージ課程 医療マッサージでの治療 (国家試験に合格すればタイ式マッサージ師)

現在バンコクのタイ方医学を教授する学校やその他の教育施設は多くあるが、その多くは民間の教育施設である  全課程教授する学校もあれば3課程のみ、タイ式マッサージの1課程のみ、と限定して教授する学校や教育施設もある

  • タイ国伝統医学協会 (ワット・テープティダー寺院伝統医学協会)
    1932(2475) タイ国伝統医学協会(ワット・テープティダー寺院伝統医学協会)が、ワット・テープティダー寺院隣りに設立され、 医療課程、薬学課程、助産課程、タイ式マッサージ課程を教授した

    ワット・テープティダー寺院ワット・ラートゥナッダー寺院ワット・パリナヨック寺院
    写真左から、ワット・テープティダー、ワット・ラートゥナッダー、ワット・パリナヨック
    ワット・テープティダー寺院伝統医学協会はその後ワット・ラートゥナッダー寺院内に移転し、更にその後ワット・パリナヨック寺院内に移転する
    現在はワット・パリナーヨック寺院隣りに位置する

    *プッサパータイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所のスームサック名誉顧問はワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校で薬学を学んでいたが、 同学校には当時タイ式マッサージ課程がなく、1964(2507)6月にここでタイ式マッサージ課程を学んだ
    ラマ5世王によって設立されたシリラート病院医学学校は、タイ方医学と現代医学を教える一般市民向けの最初の学校としてスタートしたがあまり長く続かなかった  従って、このタイ国伝統医学協会(ワット・テープティダー寺院伝統医学協会)こそがタイ国で最古の一般市民向けの伝統医学教育施設といえる  ワットプラチェトゥポン(ワットポー)伝統医学学校ができる25年前に設立された
  • タイ国タイ方医薬及びアユルベーダ医薬協会 (ワット・サムプラヤー寺院伝統医学協会)
    1952(2495) タイ国タイ方医薬及びアユルベーダ医薬協会(ワット・サムプラヤー寺院伝統医学協会)が、 ブーラパー宮殿付近の伝統医学薬店に設置され、医療課程、薬学課程、助産課程、タイ式マッサージ課程を教授しその後、1959(2502)  サムプラヤー寺院内に移転した

    ブーラパー宮殿跡ワット・サムプラヤー寺院案内ワット・サムプラヤー寺院
    写真左から、ブーラパー宮殿跡地に建つショッピングモール、ワット・サムプラヤー
    現在はバンコク市内にある

    *プッサパータイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所のスームサック名誉顧問は1986(2529)から2006(2549)まで薬学・医療課程を当協会で教えていた  スームサック名誉顧問は、ここで理事長をしていたこともあり、この協会が1952年以来教えてきたタイ方(伝統)医学の教育財産をもとに、 プッサパータイ式マッサージ学校の教育課程は作られ、それがプッサパー タイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所に引き継がれた
  • ワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校
    1957(2500) ワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校が、文部省認定の私立学校としてワット・プラチェトゥポン 寺院内に設立され、医療課程、薬学過程、助産課程を教授した (この時点ではタイ式マッサージ課程はない)
    現在もワット・プラチェトゥポン寺院内にある

    ワット・プラチェトゥポン寺院ラマ9世国王陛下 行幸
    写真はワット・プラチェトゥポン寺院、 国王陛下が当伝統医学校を行幸された時の様子
    1961(2504) 12月12日、国王陛下が当伝統医学校を行幸され、教師や学生らがお出迎えし、当校の伝統医学の教科書を献上したところ、 国王陛下がそれをお受取くださり、当時教えられていないマッサージ科についてご質問なされ、教授法を確立するよう指示された

    1963(2506) 6月、ワット・ポー寺院伝統医学学校は、学校内にマッサージ課程がなかったので、マッサージ課程を履修する学生を、 ワット・テープティダー寺院伝統医学協会に送りそこで履修させた しかし交通の便が悪い上、教室が狭く学生が溢れていたことなどから、 修了出来ない学生も見られた
    1964(2507) ワット・ポー寺院は、ワット・ポー寺院伝統医学学校の所有権を主張して学校と争った結果、学校を閉鎖した その為、 当時学んでいた学生と、(ワットポー寺院と対立した主だった)教授陣は、ワット・マハタート寺院内に移動して1965(2508)年度の厚生省の 医師・薬剤師免許状取得の国家試験に備えた
    1967(2510) ワット・ポー寺院伝統医学学校は、タイ式マッサージの教師を新たに採用し、タイ式マッサージ課程教授を開始した

    *1963(2506)6月、プッサパータイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所のスームサック名誉顧問はワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校の薬学課程 で学び、1965(2508)薬学過程を終了し薬剤師の国家試験を厚生省で受け合格した スームサック名誉顧問は上記のワット・ポー寺院が、ワット・ポー 寺院伝統医学学校の所有権を主張し争った際、学生として身をもって経験し、つぶさに記憶にとどめている
    その後、スームサック名誉顧問は薬学・医療課程をワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校で1978(2521)から1992(2535)まで教授した  1981(2524)タイ方医師の国家資格を得て、1983(2526)助産師の国家資格を得た
  • タープラジャン伝統薬剤師協会
    1969(2512) 8月26日 タープラジャン伝統薬剤師協会が、プラナコーン地区マハタート小路に設立され、医療課程、 薬学過程、タイ式マッサージ課程を教授した 現在はタイ式マッサージ課程のみ教授している
  • ワット・マハタート伝統医学協会
    1972(2515) ワット・マハタート伝統医学協会が、プラナコーン地区プララーチャワン区に設立され、(実際にはワット・マハタート 寺院内に教室を持っていた) 医療課程、薬学過程、助産課程を教授した(タイ式マッサージ課程はない)
    現在も医療課程、薬学課程、助産課程を教授しており、タイ式マッサージ課程はない 土・日曜日のみの開講となっている

    ワット・マハタート寺院
    *設立のいきさつ
    1964(2507)末、ワット・ポー寺院の一部の(ワットポー寺院と対立した主だった)教授陣らが、ワット・マハタート寺院の敷地を借りて、学生への研修 をしたいと申し出た これら学生は1965(2508)年度の厚生省のタイ方医師・薬剤師免許状取得の国家試験を受験する学生で、その際もその後も こうした研修のためワット・マハタート寺院敷地を借りる許可を得た しかし、教室はマハタート寺院内の坊などの施設を転々とし、団体として確立して いなかったため、ワット・マハタート教授陣は上記の伝統医学協会として1971(2515)に設立した
  • アユルベーダ短期大学(シーウォッグゴマラパット)
    1982(2525) アユルベーダ短期大学(シーウォッグゴマラパット) が、プラナコーン地区バンランプー ワット・ボウォンニウェート 寺院付近に設立され、伝統医学を重点的に教授したが、現代医学も併せて教授した 薬は伝統医学のものを処方し、マッサージは宮廷式で教えられた
    1998(2541)末、当学校はパヤータイ地区に移転された 2005(2548)、マヒドン大学シリラート病院医学部に統合され現在に至る

    ワット・ボウォンニウェート寺院
    *プッサパータイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所のスームサック名誉顧問はここで、1982(2525)から1986(2529)まで医療課程を教えた
    チェンマイのタイ方医学学校シーウォッグゴマラパット(Old Medicine Hospital)の前校長 ワッサン チャイチャカン(Watsan Chaichakan)氏はスームサック名誉顧問が“第一期生として教えた教え子の1人である

現王朝のラタナコーシン時代3(1990~ )タイ方医学関連の政府下部組織および民間の協会創設

  • タイ方医学公共施設 (Sathaban Gaan Phaet Phaen Thai)
    1993(2536) 厚生省内の組織である“(現代)医学局<Krom Gaan Phaet>”から独立してできた厚生省の公共施設
    プラモート サティアン(Pramooth Sathianrat)氏が長
  • タイ方医学及び代替医療促進局 (Krom Phattana Gaan Phaet Phaen Thai Lae Gaan Phaet Thaang Lueak)
    タイ方医学及び代替医療促進局ロゴ
    2002(2545)10月 タイ方医学公共施設の他に7つの支部を持つ厚生省の下部組織が発足し、タイ方医学の発展、促進、教育を目指した
    ウィチャイ チョークウィワット(Wichai Chokewiwat)氏が長
  • タイ方医学公共施設 財団法人 (Munithi Sathaban Gaan Phaet Phaen Thai)
    2002(2545) タイ方医学公共施設から財団法人として独立して、厚生省隣り、ワット・プッタパンヤー寺院付近のジョールイス演劇場に 設立され、全課程を教授している 試験もあるので学校と勘違いされやすいが、厚生省の下部組織でもなく学校でもない(厚生省で行われる国家試験と混同 すべきでない)
    プラモート サティアン(Pramooth Sathianrat)氏はオーナーで
    ペンナパー サプチャロン(Phennapha Sapcharoen、女医<西洋医学>2008年3月死去)氏が長 だった

    *ここでいう“学校”とはタイ語でローンリアング(Rongrian)のことで、タイ国では厚生省ではなく文部省が全てのタイ国の“学校”を審査認定する  公共施設(Sathaban)や局(Krom)は政府の下部組織だが、協会(Samakhom)や財団法人(Munithi)は、民間の組織で政府の下部組織ではなく学校でもない
    学校かそれ以外の民間の組織かを区別するのは、その組織が使っているロゴを見ればわかる そのロゴにタイ語でローンリアング(Rongrian)の文字があるか ないか、あれば文部省の認可している学校で、なければ民間の組織である
  • タイ国タイ方医学協会 (Samakhom Paet Paen Thai Haeng Prateet Thai)
    タイ国タイ方医学協会ロゴ
    ロゴ中、上の文字は英語で、The Union of Thai Traditional Medicine Societyで、
    下のタイ文字はタイ語で、Samakhom Paet Paen Thai Haeng Prateet Thai(タイ国タイ方医学協会)

    1997(2540) パイブーン ケウカーン(Phaibun Kaeukaan)氏を長として厚生省内“(現代)医学局<Krom Gaan Phaet>”に設立されたが、 氏の死後1999(2542)以来アラーム アマラディット(Aram Amaradit)氏が協会長 タイ国の地図をロゴにしている
    厚生省内にあるので厚生省の組織と勘違いされやすいが、厚生省の組織ではなく学校でもない
    現在この組織を本部としその支部が、いわばフランチャイズ化して、135か所(2008年3月現在)ある
    アラーム氏の子息によってその110番目の支部が、マヒドン大学プッタモントン・キャンパス サラヤの近くに設立され、マッサージ課程を教授している  下記の“タイ方医学協会パトゥムタニ職業訓練センター”は10番目の支部である

    *アラーム アマラディット(Aram Amaradit)氏
    元厚生委員長(下院議員当時)、元厚生大臣顧問、元農業及び農協大臣顧問、元スリン県選出下院議員、だったので、厚生省に人脈がある  その関係で厚生省内“医学局6<Krom Gaan Phaet 6>(DMS6)”に事務所を借りている タイ方医師ではないが、1999(2542)以来タイ国タイ方医学協会 の長となり、80歳以上の高齢で厚生省内にまだ影響力を持っている
  • タイ方医学に関する新法の発令
    1999(2542) “伝統医学“ を ”タイ方医学“と呼ぶ新法律が発効となる 
    “伝統医学(ペートペンボーラン、Phaet Phaen Boran)“という呼称を禁じ、”タイ方医学(ペートペンタイ、Phaet Phaen Thai)“と呼ぶ新たな法律が発効された  それとともに、”古式マッサージ(ヌアットペンボーラン、Nuat Phaen Boran)“も”タイ式マッサージ(ヌアットペンタイ、Nuat Phaen Thai)“と公式文書では呼ばれるようになった
  • タイ方医学協会パトゥムタニ職業訓練センター (Samakhom Paet Paen Thai Suun Fuk Achiep Pathumthani)
    タイ方医学協会パトゥムタニ職業訓練センターロゴ
    ロゴ中、上の大きな文字はタイ語で左からSamakhom Paet Paen Thai(タイ方医学協会)と書いてあり、 下の文字はタイ語でSuun Fuk Achiep Tambon Khlongsam Amphoe Khlongluang Changwat Pathumthani (パトゥムタニ県 クロンーングルアング郡 クローングサーム区 職業訓練センター)

    2002(2545) タイ国タイ方医学協会(前述)の役員であるチャルーム ウォングスィリ(Chalerm Vongsiri)氏が、タイ国タイ方医学協会から 独立してパトゥムタニ県に設立した シーウォッグ先生をロゴにしている タイ政府の組織ではなく学校でもない

    *チャルーム ウォングスィリ(Chalerm Vongsiri)氏
    空軍少佐を退役後、ワット・サムプラヤー寺院伝統医学協会で、ピシット先生やソムポート先生に教わった生徒である  その後その他の学校でタイ方医学を勉強し、タイ方医師になった タイ国タイ方医学協会の会員でもあるが、独立して ”タイ方医学協会パトゥムタニ職業訓練 センター”(タイ国タイ方医学協会ではない)を設立した ゴシップが多い

現王朝のラタナコーシン時代4(1999~ )タイ方医学関連の文部省認定校創設

  • ラマ7世タイ式マッサージ学校  (Rongrian Phaen Thai Phraram 7)
    1999(2542) 文部省認定の私立学校としてヤンヒー病院内に設立され、マッサージ課程を教授した
    プッサパータイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所のスームサック名誉顧問はここで、1999(2542)から2015(2558)まで薬学課程を教えた
  • ピシット・ウェーチャガム学校 (Rongrian Phisit Wechakam)
    2000(2543) 文部省認定の私立学校として、ニューペッブリー通りに設立され、2013(2556)までマッサージ課程を教授した
  • プッサパータイ式マッサージ学校 (Rongrian Phurussapa Hattha Phaen Thai)
    2001(2544) 文部省認定の私立学校として、スクンビット通りソイ26に設立され、2015(2558)までマッサージ課程を教授した
    前述のようにスームサック名誉顧問は、タイ国タイ方医薬及びアユルベーダ医薬協会(ワット・サムプラヤー寺院伝統医学協会で理事長をしていたこともあり、 この協会が1952年以来教えてきたタイ方(伝統)医学の教育財産をもとに、プッサパータイ式マッサージ学校の教育課程は作られた
  • 2001年時点での、文部省認定タイ式マッサージ学校 (バンコクに7校、それ以外に3校の10校のみ)
    ・バンコクの7校 (R.R.=Rongrian)
    1)ラマ7世タイ式マッサージ学校  (R.R. Phaen Thai Phraram 7)
    2)ピシット・ウェーチャガム学校 (R.R. Phisit Wechakam)
    3)プッサパータイ式マッサージ学校 (R.R. Phurussapa Hattha Phaen Thai)
    4)タイ式健康増進学校 (R.R. Song serm sukhaphaap phaen Thai)
    5)国際メナムタイ古式マッサージ教習学校 (R.R. Soon nuat phaen boraan Nanachart maenam)
    6)バンコクヘルスケアータイ式マッサージ学校 (R.R. Krungthep Heu khaer nuat phaen Thai)
    7)クリンチャットアユルベーダ(セーリセンター)学校 (R.R. Khrinchatr Ayurveda (Seri Center))

    ・バンコク以外の3校
    1)シーウォッグゴマラパットタイ方医学学校(R.R. Phaet Phaen Thai Shiwog Gomaraphat) 2000(2543)チェンマイにて設立
    (通称:オールドメディシンホスピタル タイ式マッサージ学校 Thaimassage school Old Medicine Hospital)
    2)ソンクラータイ方医学学校 (R.R. WechaSaat Phaen Thai Songkhla) 2001(2544) ソンクラーにて設立
    3)ワットチュムポーンランサンタイ式マッサージ学校 (R.R. Nuat Phaen Thai Wat Chumpornrangsan) 2001(2544) チュムポーンにて設立

    *ワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校の第一期生として1962年(2505)卒業したシントーン チャイチャカン(Sinthorn Chaichakan)氏が チェンマイで、“伝統医学病院兼教習所”をワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校の支所として設立しようとしたが、ワットポー伝統医学学校は それを認めず、シントーン チャイチャカン氏は自身の“伝統医学病院兼教習所”を設立した
    その後、2000年(2543)息子のワッサン チャイチャカン(Watsan Chaichakan))氏が文部省に学校として申請し受理された  彼は、プッサパータイ伝統医学及びリフレクソロジー研究所のスームサック名誉顧問が“アユルベーダ短期大学(シーウォッグゴマラパット)“第一期生として教えた教え子の1人である
  • 2003年時点での、文部省認定タイ式マッサージ学校 (バンコクに14校、それ以外に3校の17校のみ)
    ・バンコクの上記7校以外の7校 (R.R.=Rongrian)
    8)ロムチャットボリラックス学校 (R.R. Romchatboriraks)
    9)ブンチュウハッタサットヨカ学校 (R.R. Bunchuu Hattasaat Yokha)
    10)タイ式マッサージ学校 (R.R. Gaan Nuat Phaen Thai)
    11)プリンセス美容学校 (R.R. Khwaamgaam Princes)
    12)チワサロム美容・健康専門学校 (R.R. Soon Wichaachiip Khwaamgaam Lae Sukhaphaap Spa Chiiwasarom)
    13)タイ式健康学校 (R.R. Sukhapaap Thai)
    14)チェタワンタイ式マッサージ学校(ワットポーのマッサージ学校) (R.R. Nuat Phaen Thai Chetawan)
     2003(2546) 文部省認定の私立学校として、ワットポーの前 プラナコンに設立され、マッサージ課程を教授している
     前出1957(2500)設立のワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校<3年制>とは別の学校

    *ワットポーマッサージ教習所は、これ以前から主に外国人にタイ式マッサージを教えてきたが、”文部省の学校としての認定は不要”として同寺門前で教えてきた  マッサージの修了証は、境内にある、いわば親学校であるワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校のものを使ってきた  しかし、2004年に新たな法律(タイ式マッサージを職業にするタイ人は文部省校の60時間以上の修了証が必要)の発効に備えて ワットポーマッサージ教習所は、2003年(2546)文部省に申請して文部省の認定校”チェタワンタイ式マッサージ学校”になった
    前出1957(2500)設立のワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校<3年制>と資本系列は同じだが、 文部省は分校を一切認めていないので、ワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校とは別に、このチェタワンタイ式マッサージ学校が設立された
    新法律の詳細はタイ伝統医学、国家資格をご覧ください

    ・バンコク以外の3校
    1)シーウォッグゴマラパットタイ方医学学校 (R.R. Phaet Phaen Thai Shiwog Gomaraphat)
     (通称:オールドメディシンホスピタル タイ式マッサージ学校 Thaimassage school Old Medicine Hospital)
    2)ソンクラータイ方医学学校 (R.R. WechaSaat Phaen Thai Songkhla)
    3)ワットチュムポーンランサンタイ式マッサージ学校 (R.R. Nuat Phaen Thai Wat Chumpornrangsan)

     <その他2校があったが2004年1月時点で登録なしまたは実稼働していないので省略>
     <2004年8月には、38の文部省認定タイ式マッサージ学校が確認された>