タイ方医学、タイ式マッサージなどを教える学校やその他の教育施設の歴史

プッサパー タイ式マッサージスクール 校印

<2008年4月>

スコータイ、アユタヤー王朝時代  (1238〜1782)

1238年タイ国がカンボジア属領から独立して建国したスコータイの時代から、タイ国全土には歴代の王に官吏として仕えるタイ方医師(Moh Luang) とそれ以外の一般民衆のための医者(MohChaubaan)がいて、サムンプライ(タイ方薬)やタイ式マッサージを用いて診療を行っていた タイ伝統医学または タイ方医学はタイ国の文化の1つであり、特定の組織(寺院)や個人が始めたものではない
これらの時代より現代に至るまで受継がれてきたタイ方医学では、かつては師弟関係を以って卒業するまで、師の下で生活しながら学ぶ形を基本として 受け継がれてきた
従ってアユタヤ時代までは、タイ方医学を教える一般人のための教育施設は史実として見当たらない

現王朝のラタナコーシン時代1 (1782〜1930)

写真左からワットラーチャオロサーラーム、Rama3世によって一般人の医療啓蒙のために同寺の回廊に掲げられた、タイ式マッサージのツボやサムンプライ =タイ方薬の処方箋を彫った大理石

現在、国立図書館ではこのタイ方医学大典:(Tamra Wechasaat Chabub Luang)30巻を保管しており、タイ方医学を教える 公立・私立の文部省認定校が所定の手続きで請求すれば、その学校にコピーが、(Tamra Wechasaat Chabub Luang Rachakaan Tie 5)2巻として配給される  プッサパーでも請求を起こし、2001年10月受領した (写真上)

1888(2431)ラマ5世はシリラート病院を設立し、1889(2432)病院内に公立医学学校が設立され、タイ方医学と現代医学が3年課程 で教授された (両医学は相反することが多く、また教師・生徒双方にタイ方医学軽視の傾向があり、実施面で問題があった)

1895(2438) シリラート病院医学学校の教授たちによって、上記のタイ方医学大典(Tamra Wechasaat Chabab Luang)をもとに、 医科学教科書(Phaetsart Sonkhrau)が出版され、初めて一般の人々にも公開されタイ方医学の原典となった  これをもとにして後述の1930年以降に設立された協会や学校は教科書を作成していった事実からいっても、この教本こそがタイ式マッサージをはじめとする タイ方医学教育の唯一の源流と言える
タムラペーサートソンクロ タイ方医学教典1 タムラペーサートソンクロ タイ方医学教典2 タムラペーサートソンクロ タイ方医学教典3

1895(2438) シリラート病院医学学校のタイ方医学教授会はシリラート病院での教授を中止することとしたため、以後何処においても タイ方医学の教授は行われなくなった

現王朝のラタナコーシン時代2 (1930〜1982 )  民間のタイ方医学教育施設 創設

現在タイ方医学には下記の通り各課程を設けている
1.医療課程 タイ方医学による診断、薬での治療 (国家試験に合格すればタイ方医師)
2.薬学課程 薬(サムンプライ)の処方 (国家試験に合格すれば薬剤師)
3.助産課程 分娩 (国家試験に合格すれば助産師)
4.タイ式マッサージ課程 マッサージでの治療

現在バンコクのタイ方医学を教授する学校やその他の教育施設は多くあるが、その多くは民間の教育施設である  全課程教授する学校もあれば3課程のみ、タイ式マッサージの1課程のみ、と限定して教授する学校や教育施設もある

写真左から、ワット・テープティダー、ワット・ラートゥナッダー、ワット・パリナヨック
ワット・テープティダー寺院伝統医学協会はその後ワット・ラートゥナッダー寺院内に移転し、更にその後ワット・パリナヨック寺院内に移転する
現在はワット・パリナーヨック寺院隣りに位置する

*プッサパータイ式マッサージ学校のスームサック校長はワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校で薬学を学んでいたが、 同学校には当時タイ式マッサージ課程がなく、1964(2507)6月にここでタイ式マッサージ課程を学んだ
ラマ5世王によって設立されたシリラート病院医学学校は、タイ方医学と現代医学を教える一般市民向けの最初の学校としてスタートしたがあまり長く続かなかった  従って、このタイ国伝統医学協会(ワット・テープティダー寺院伝統医学協会)こそがタイ国で最古の一般市民向けの伝統医学教育施設といえる  ワットプラチェトゥポン(ワットポー)伝統医学学校ができる25年前に設立された

写真左から、ブーラパー宮殿跡地に建つショッピングモール、ワット・サムプラヤー
現在はバンコク市内にある

*プッサパータイ式マッサージ学校のスームサック校長は1986(2529)から2006(2549)まで薬学・医療課程を当協会で教えていた  スームサック校長は、ここで理事長をしていたこともあり、この協会が1952年以来教えてきたタイ方(伝統)医学の教育財産をもとに、 プッサパータイ式マッサージ学校の教育課程は作られた

写真はワット・プラチェトゥポン寺院、 国王陛下が当伝統医学校を行幸された時の様子
1961(2504) 12月12日、国王陛下が当伝統医学校を行幸され、教師や学生らがお出迎えし、当校の伝統医学の教科書を献上したところ、 国王陛下がそれをお受取くださり、当時教えられていないマッサージ科についてご質問なされ、教授法を確立するよう指示された

1963(2506) 6月、ワット・ポー寺院伝統医学学校は、学校内にマッサージ課程がなかったので、マッサージ課程を履修する学生を、 ワット・テープティダー寺院伝統医学協会に送りそこで履修させた しかし交通の便が悪い上、教室が狭く学生が溢れていたことなどから、 修了出来ない学生も見られた
1964(2507) ワット・ポー寺院は、ワット・ポー寺院伝統医学学校の所有権を主張して学校と争った結果、学校を閉鎖した その為、 当時学んでいた学生と、(ワットポー寺院と対立した主だった)教授陣は、ワット・マハタート寺院内に移動して1965(2508)年度の厚生省の 医師・薬剤師免許状取得の国家試験に備えた
1967(2510) ワット・ポー寺院伝統医学学校は、タイ式マッサージの教師を新たに採用し、タイ式マッサージ課程教授を開始した

*1963(2506)6月、プッサパータイ式マッサージ学校のスームサック校長はワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校の薬学課程 で学び、1965(2508)薬学過程を終了し薬剤師の国家試験を厚生省で受け合格した スームサック校長は上記のワット・ポー寺院が、ワット・ポー 寺院伝統医学学校の所有権を主張し争った際、学生として身をもって経験し、つぶさに記憶にとどめている
その後、スームサック校長は薬学・医療課程をワット・プラチェトゥポン(ワット・ポー)伝統医学学校で1978(2521)から1992(2535)まで教授した  1981(2524)タイ方医師の国家資格を得て、1983(2526)助産師の国家資格を得た

*設立のいきさつ
1964(2507)末、ワット・ポー寺院の一部の(ワットポー寺院と対立した主だった)教授陣らが、ワット・マハタート寺院の敷地を借りて、学生への研修 をしたいと申し出た これら学生は1965(2508)年度の厚生省のタイ方医師・薬剤師免許状取得の国家試験を受験する学生で、その際もその後も こうした研修のためワット・マハタート寺院敷地を借りる許可を得た しかし、教室はマハタート寺院内の坊などの施設を転々とし、団体として確立して いなかったため、ワット・マハタート教授陣は上記の伝統医学協会として1971(2515)に設立した

*プッサパータイ式マッサージ学校のスームサック校長はここで、1982(2525)から1986(2529)まで医療課程を教えた
チェンマイのタイ方医学学校シーウォッグゴマラパット(Old Medicine Hospital)の現校長 ワッサン チャイチャカン(Watsan Chaichakan)氏はスームサック校長が“第一期生として教えた教え子の1人である

現王朝のラタナコーシン時代3 (1990〜 )  タイ方医学関連の政府下部組織および民間の協会 創設

ロゴ中、上の文字は英語で、The Union of Thai Traditional Medicine Societyで、
下のタイ文字はタイ語で、Samakhom Paet Paen Thai Haeng Prateet Thai(タイ国タイ方医学協会)

1997(2540) パイブーン ケウカーン(Phaibun Kaeukaan)氏を長として厚生省内“(現代)医学局<Krom Gaan Phaet>”に設立されたが、 氏の死後1999(2542)以来アラーム アマラディット(Aram Amaradit)氏が協会長 タイ国の地図をロゴにしている
厚生省内にあるので厚生省の組織と勘違いされやすいが、厚生省の組織ではなく学校でもない
現在この組織を本部としその支部が、いわばフランチャイズ化して、135か所(2008年3月現在)ある
アラーム氏の子息によってその110番目の支部が、マヒドン大学プッタモントン・キャンパス サラヤの近くに設立され、マッサージ課程を教授している  下記の“タイ方医学協会パトゥムタニ職業訓練センター”は10番目の支部である

*アラーム アマラディット(Aram Amaradit)氏
元厚生委員長(下院議員当時)、元厚生大臣顧問、元農業及び農協大臣顧問、元スリン県選出下院議員、だったので、厚生省に人脈がある  その関係で厚生省内“医学局6<Krom Gaan Phaet 6>(DMS6)”に事務所を借りている タイ方医師ではないが、1999(2542)以来タイ国タイ方医学協会 の長となり、80歳以上の高齢で厚生省内にまだ影響力を持っている

ロゴ中、上の大きな文字はタイ語で左からSamakhom Paet Paen Thai(タイ方医学協会)と書いてあり、 下の文字はタイ語でSuun Fuk Achiep Tambon Khlongsam Amphoe Khlongluang Changwat Pathumthani (パトゥムタニ県 クロンーングルアング郡 クローングサーム区 職業訓練センター)

2002(2545) タイ国タイ方医学協会(前述)の役員であるチャルーム ウォングスィリ(Chalerm Vongsiri)氏が、タイ国タイ方医学協会から 独立してパトゥムタニ県に設立した シーウォッグ先生をロゴにしている タイ政府の組織ではなく学校でもない

*チャルーム ウォングスィリ(Chalerm Vongsiri)氏
空軍少佐を退役後、ワット・サムプラヤー寺院伝統医学協会で、ピシット先生やソムポート先生に教わった生徒である  その後その他の学校でタイ方医学を勉強し、タイ方医師になった タイ国タイ方医学協会の会員でもあるが、独立して ”タイ方医学協会パトゥムタニ職業訓練 センター”(タイ国タイ方医学協会ではない)を設立した ゴシップが多い

現王朝のラタナコーシン時代4 (1999〜 )  タイ方医学関連の文部省認定校 創設

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